遺言書というツール

公正証書遺言イラスト

「うちは普通の家庭だから」と思っている方へ。

「遺言書なんて、まだ自分には早い」 「うちは揉めるほどの財産はないから大丈夫」

司法書士として相談を受けていると、こうした言葉をよく耳にします。テレビドラマなどで見る泥沼の遺産争いは、大富豪の家で起こるものというイメージが強いからかもしれません。

しかし、現実は少し違います。 家庭裁判所で扱われる遺産分割事件のうち、約75%は遺産総額5,000万円以下(約35%は1,000万円以下)のケースだというデータがあります(司法統計)。これは、平たく言うと、相続人間での話し合いがまとまらず、裁判所に行くところまでもつれてしまっている件数です。

遺言書は、単に財産を分けるための書類ではありません。あなたが亡くなった後、残された家族が複雑な手続きや話し合いに巻き込まれないようにするための、有効な予防法(ツール)です。

ではなぜ、遺言書が「争族」対策として有効なのか。

今回は、そもそも、遺言書の「ある」「なし」で相続手続きがどう変わるのかをお伝えします。


遺言書がない場合、残された家族で遺産分割協議を行う。

遺言書がない場合、法律で定められた相続人全員が集まって、「誰がどの財産を引き継ぐ(相続する)か」を話し合わなければなりません。これを「遺産分割協議」と言います。

実は、ここにいくつかのハードルがあります。

① 全員の同意と「実印」が必須

遺産分割協議を成立させるには、相続人全員の合意が必要です。 もし相続人の中に、認知症などで判断能力が不十分な方がいたり、連絡がつかない方が一人でもいたりすると、話し合いは進められません。また、預金の引き出しや不動産の名義変更の手続きを行う際には、話し合いによって決まった内容を書面にした「遺産分割協議書」を作成し、皆で実印(+印鑑証明書)を押す必要があります。葬儀費用や当面の生活費が必要なのに、預金口座が凍結されたまま動かせないという事態は、遺族にとって大きなストレスになります。

② 「自由」が紛争の種になることも

実は、遺産分割協議による遺産の分け方にはルールがありません。つまり、相続人の内の誰か一人だけが全財産を相続することもできますし、全員で均等に分けることも全く問題ありません。なぜかといえば、上の①で触れたとおり、「全員の同意」が大前提になっているからです。どのような分け方であれ、関係者全員が納得して合意しているのであれば、外野がそれについてとやかく言うことはないということです。

しかし、この自由こそが、紛争を引き起こしている元凶ともいえるのです。「親の介護を一人で背負った」「兄貴だけ大学の学費を援助してもらった」など、それぞれの言い分がある場合があるからです。 それまでは仲の良かった兄弟姉妹でも、いざ相続の場面になると、過去の不満が噴出して関係がこじれてしまうことがあります。

③相続人ではない人が割り込んでくる

これも非常によくあるパターンなのですが、法律で定められた相続人ではない人が口を挟んだり、意見を言ったりすることによって話し合いの収集がつかなくなることもあります。ここでいう、相続人ではない人とは、相続人の配偶者が典型例となります。


遺言書があると、どう変わるのか。

一方、法的に有効な遺言書があれば、原則として遺産分割協議を行う必要はありません。これだけで、ご家族の手間と心理的負担は大幅に軽減されます。

① 手続きがスムーズに進む

遺言書による最大のメリットといえるかもしれませんが、「誰に何を渡すか」がすでに決まっているのでわざわざ相続人の皆様で話し合いをする必要がありません。その遺言書を利用して、金融機関の手続きや不動産の名義変更の手続きを行うことになります。

② あなたの意思で財産を渡せる

「長年連れ添った妻に、自宅を確実に残したい」 「世話になった長男の妻にも、感謝の気持ちとして財産を分けたい」 「障害のある子供のために、資金を多めに確保したい」

こうした個別の事情やお考えに合わせた配分を決めることができるのは、遺言書だけです。


遺言書の種類

遺言書には主に、「自分で書く(自筆証書遺言)」と「公証役場で作成する(公正証書遺言)」の2種類があります。

手軽なのは自筆ですが、形式の不備で無効になるリスクや、紛失・改ざんの恐れがあります(法務局での保管制度も新設されました)。 一方、公正証書は費用がかかりますが、公証人が関与するため確実性が高く、原本が公証役場に保管されるので紛失等の心配もありません。

どちらを選ぶべきかは状況によりますが、「確実に想いを実現したい」のであれば、公正証書遺言をお勧めすることが多いです。これについては、また別の機会に詳しく解説します。


まとめ:家族の「これから」を守るために

遺言書は「死ぬ準備」と捉えられがちですが、実際には「残された家族のための準備」です。

遺言書がないことで、本来なら仲の良かった家族が揉めるきっかけとなってしまうこともあります。

お元気な今だからこそ、冷静に考えられるはずです。 まずはご自身の財産と、大切なご家族の顔を思い浮かべて、「もし今、自分がいなくなったら手続きはどうなるだろう?」と想像してみてください。

もし少しでも不安を感じたり、「うちの場合はどうなるの?」と疑問に思われたりしたら、お近くの専門家に相談してみるのも一つの方法です。